島原

 1589年豊臣秀吉の公許を得て柳馬場二条に開かれ、柳町または新屋敷といわれたのがはじまり。その後1602年に六条柳町に、1641年に朱雀野、現在の島原の地に移され、西新屋敷と呼ばれる。その移転命令があまりにも急であり、住人の狼狽もひどく、それが九州島原の乱に似ていたことから島原と呼ばれるようになったと言われている。
 島原には揚屋(今でいう料亭)と置屋(太夫や芸妓がいる)があり、角屋は揚屋。幕末には諸大名をはじめ、西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞、坂本龍馬、山縣有朋、伊藤博文、他に新選組等も利用していた。

角屋

 角屋は島原開設当初から建物・家督を維持し続け、江戸期の饗宴文化の場である揚屋建築唯一の遺構として保存されている。
 天明年間前後に円山応挙や与謝蕪村等に襖絵の制作を依頼し、今でも画蹟が残されている。美術品も所蔵しており、建物と合わせて展示・公開されている。
 木造二階建、表は格子造り。公開されているのは1階のみ、2階は事前予約が必要。奥の大座敷には京都市指定名勝の庭園「臥龍松の庭」がある。

座敷・展示物紹介

・網代の間
・緞子の間
・翠簾の間
・扇の間
・草花の間
・馬の間
・青貝の間
・桧垣の間
・大座敷松の間

・紅白梅図屏風
・桐に鳳凰の図 ほか

京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町32