
まずは福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館へ。資料館はまぁ資料館だなという感想なので置いておく。ここのロビーに置いてあった「一乗谷」という写真集があって、これがなかなかよかった。「何もない」ということの美しさを感じた。
いよいよ遺跡へと移動。まず復元された町並みをぶらりと散歩。その後、よく写真で紹介されている朝倉館跡の唐門を通り、庭園をめぐる。庭園と言っても、はっきり言って本当にほとんど何もない。ただ緑があって、山があって、のんびりと人が歩いている。けれどよく見れば、緑は場所によって色を変えるし、その山は東山魁夷の絵のようだし、のんびりと歩けば足元に優しげな花が咲いていたりする。そういう、何もない場所だった。
朝倉氏遺跡
一乗谷の初代は朝倉孝景で、1471年(文明3年)に居城を移したと言われる。5代朝倉義景の時代、1573年(天正元年)に織田信長との刀根坂の戦いで敗北、朝倉氏は滅亡し、一乗谷は戦火で焦土と化した。その後、400年以上埋もれて残されていた。現在は朝倉館跡、庭園や町並みが復原されている。
丸岡城

町の中にぽんとあるお城。一応平山城らしい。別名、霞ヶ城。天守は重要文化財。
永平寺

午前中の早めの時間についたものの、そこそこの人出だった。靴を脱いで上がるのだけれど、通路で建物同士がつながっていて、思ったよりも広かった。山の中にある道場というイメージなのだけれど、観光客も多いので不思議な感じ。
永平寺
曹洞宗の大本山。1244年に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場。
越前大野城

天空の城と呼ばれているので、どんなところか思えば、わりと町中にぽこんとある山だった。
越前大野城
1575年(天正3年)に金森長誓が織田信長より大野郡の3分の2の領地を与えられ、翌年に大野城及び城下町の建設を始め、1580年に完成したと伝えられる。亀山を利用して築かれた梯郭式の平山城、石垣は野面積み。
1775年(安永4年)に野口村より出火し、大野城の天守閣も焼失。1795年(寛政7年)に天守を除いで再建されるが、1873年(明治6年)には廃城令により取り壊される。
1968年(昭和43年)、萩原貞氏の寄付により再建される。