山猫軒と宮沢賢治記念館

花巻空港に到着後、レンタカーに乗り出発。
まずは腹ごしらえと、車で15分ほどのところにある「山猫軒」さんへ。ここは宮沢賢治の「注文の多い料理店」をモチーフにしていて、ちょっと入るのが怖い看板が出ていたりもする。勿論、中では食べられるのではなくこちらが食べるのだけれど。宮沢賢治の作品がモチーフになったメニューや、郷土料理みたいなものもあって、嬉しい。
しっかり元気をチャージしたら、近隣の宮沢賢治関連施設を巡る。すぐ隣のポランの広場に立ち寄ってから宮沢賢治記念館。記念館はまさに記念館で、楽しむ!という感じよりは知るという雰囲気。環境や農村、科学など、様々な資料が展示されている。その後イーハトーブ館へ。こちらはイベントとかをするスペースのよう。
宮沢賢治童話村

賢治先生の関連施設で一番楽しかったのは、宮沢賢治童話村。広場があったり、小屋があったり、散策する小道があったり、体験型施設があったり。のんびりとした雰囲気で物語の中に入りこんでいるような気持ちになる。特に「賢治の学校」という体験型の施設では、「ファンタジックホール」「宇宙の部屋」「天空の部屋」「大地の部屋」「水の部屋」があり、色々な世界を体験できる。写真も撮れるので、記念にもなる。
イギリス海岸

童話村を出て、近くの神社に立ち寄ってからイギリス海岸へ。立ち入り禁止区域があったり、環境の変化などで、もう川にしか見えないのだけれど、思いをはせることはできる。ここにあった景色を見て、先生は「イギリス海岸」を書いたのだなぁ。
身照寺と公園
宮沢賢治先生のお墓がある。お花がいっぱいで、今でも愛されている人なのだと感じた。
花巻温泉へ
市街地から車で約20分、花巻温泉へ。温泉へ入ってゆっくりと休む。ご飯も美味しくて、素敵な宿だった。
胆沢城跡

ここだったんだ。もうその思いに尽きる。近くに資料館のようなところがあって、わりとしっかりとしたパンフレットも置いてあって嬉しかった。ここに胆沢城があって、胆沢の柵があったんだ。ここで生きていたんだ。今はもう、何もないけれど。
鎮守府八幡宮

さすがにこのあたりは坂上田村麻呂関係の伝説が多いな。
鎮守府八幡宮
胆沢城跡の北側にある神社。御神体は最霊石という霊石。応神天皇、神功皇后、市杵島姫命の三柱をまつっている。
桓武天皇の時代に、坂上田村麻呂が胆沢城を築いた時に、城の北東の地に豊前国宇佐八幡宮の神霊を勧請し、東北開拓経営の守護神となった。
宝物に、嵯峨天皇宸筆の八幡宮寶印、坂上田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢、源義家奉納の弓、伊達氏奉納の太刀などがある。
岩手県奥州市水沢区佐倉河字宮の内12
中尊寺

歴史を知る前からずっと来てみたかった場所。時代小説を読んでからはずっと会いたかったんだ。すごく嬉しくて、なんだかもう、泣きそうになる。特に金色堂には、本当にそこに眠っているというのだから。ああ、どんな気持ちだったんだろうな。
中尊寺
850年、慈覚大師円仁の開山。12世紀初頭に奥州藤原氏初代清衡が仏国土建設のために大伽藍を造営。現在は金色堂の他、本堂、讃衡蔵、経蔵(重要文化財)等が並ぶ。世界文化遺産に登録されている。
金色堂
1124年(天治元年) 国宝
現存する唯一の創建遺構。本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音菩薩、勢至菩薩、さらに6体の地蔵菩薩と持国天・増長天が取り巻く。堂全体が緊迫でおおわれており、極楽浄土を表している。内陣は螺鈿細工や蒔絵などの工芸、彫金で飾られている。中央須弥壇内部に、初代清衡、向かって左に二代基衡、右に三代秀衡の遺体及び四代泰衡の首級が納められている。
高館義経堂

天気があまりよくなかったので、北上川や衣川、束稲山をのぞむ丘の景色も思ったほどではなかった。けれど中尊寺などと違い、人が少ないこともあり、趣のある場所だと思う。特に松尾芭蕉の詠んだ句を思うと、広がる平原に安倍氏の名残や、奥州藤原氏の栄華が偲ばれる。
高館義経堂
判官館とも呼ばれる。平泉に落ち延びた源義経の館があったと言われる場所。奥州藤原氏四代、泰衡に襲われ、義経はこの場所で妻子とともに自害したという。現在の義経堂は1683年に千代藩主の伊達綱村が義経を偲んで建てたもので、中には義経の木造が安置されている。義経像は堂創建時に制作されたもの。彩色も残っており、綿密な造り。
東側には北上川を越え、束稲山が見える。松尾芭蕉が、平泉を訪れた1689年、有名な句「夏草や 兵共が 夢の跡」を詠んだのがこの場所。
義経堂の横には昭和61年に建てられた供養塔がある。
無量光院跡
ここは…たぶんまだこれからなんだろう。何もなかった。跡地なのだから何もなくて当然なのだけれど。
毛越寺

晴れていたら、きっともっといい写真が撮れたのにと思う。お寺というより、庭園だ。
毛越寺
世界遺産
850年、この地を訪れた慈覚大師が薬師如来の化身のお告げで堂宇を建立し、嘉祥寺と号したことが始まり。庭園は中央に大和泉ヶ池を配し、海に見立てている。
本堂には本尊薬師如来、日光・学校菩薩を安置。宝物館や開山堂、常行堂などがある。その他、跡地として、南大門後、嘉祥寺跡、講堂跡、金堂円隆寺後、経楼跡、鐘楼跡、常行堂・法華堂跡。
岩手県平泉町字大沢
観自在王院跡
ちょっとだけ建物があるが、おおむね何もない。
達谷窟屋毘沙門堂

毛越寺から車でおよそ10分。少し離れているからか、人がほとんどいなくてゆっくりできる。わりと楽しい。
達谷窟屋毘沙門堂
坂上田村麻呂創建と伝わる。田村信仰の発祥の地とされる。境内には毘沙門堂、金堂、源義家が弓で彫り付けたと伝えられる岩面大仏、辯天堂などがある。毘沙門堂縁起に悪路王の伝説が残る。
岩手県西磐井郡平泉町平泉字北澤16番地
平泉文化遺産センター

金鶏山のふもとにある資料館。展示室はさほど大きくはないが、安倍氏の時代、奥州藤原氏を中心に平泉の歴史を知ることができる。エントランスには写真や蓮の花が飾られている。蓮は奥州藤原氏4代泰衡の首級が納められた首桶に一緒に納められていた蓮の種が花を咲かせたものという。今も中尊寺にある蓮はその蓮から連なるものなのだそう。とにかくロマンを感じる。
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立44番地
遠野へ
歴史に思いを馳せ、後ろ髪惹かれる思いで平泉を後に。そして次は伝承の場所へ。
山口の水車

遠野と言えばの風景がある。ここで生まれたわけでもないし育ったわけでもないし、初めてくる場所なのになんだか懐かしいな。車でなければ周れない…。
ダンノハナとデンデラ野

観光地というよりは、そこにある場所なのだなと思う。伝承の場所だけれど、それは平泉とかよりもずっと現代に近いから、心がしんとする。
カッパ淵

常堅寺の裏てにある小川の淵。ただのかわっぺりと言えばそれまでだが、カッパが現れると言われており、カッパ釣のためのきゅうりを餌にした釣竿が飾られている。ただ、思ったより平野の中にあるんだな。
伝承園

佐々木喜善記念館や、御蚕神堂(オシラ堂)、工事中だったけれど曲り家などがある。色々な体験もできるよう。オシラ堂はたくさんの人の願いがたくさんで、不思議な空間だった。
とおの物語の館
柳田國男展示館や昔話蔵などを見て回る。昔話蔵では遠野につたわる昔橋が紹介されている。映像や音声も使った展示施設で楽しい。柳田國男の関連施設では、柳田國男が滞在した宿である旧高善旅館や東京にあった家を移築した建物などがある。
卯子酉様

縁結びの神様として知られ、赤い布を左手だけで木に結ぶことができれば縁が結ばれると言われる。そうやって結ばれた赤い布が幻想的な雰囲気を醸し出している。
千葉家

有名な南部の曲り家の代表格。名前は知っていたし、写真も見たことがあったのだけれど、あんな高台にあるとは知らなかった。これぞ遠野のお屋敷。
南部曲り家 千葉家
19世紀初頭 重要文化財
曲り家とはL字型の家のことで、人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家をいう。入り口を入ると「庭」と呼ばれる室内の土間があり、住家と馬屋をつなぐ空間となっている。名馬の産地ならではのつくりである。
千葉家は母屋のほか、作業小屋、大工小屋、蔵、中庭を持ち、同じ敷地には正一位稲荷大明神という神社もある。
千葉家は江戸時代には士分で、遠野南部家の家臣であった。代々山林業で財を成し、この家は四代喜右衛門が飢饉困窮した人々の救済のために普請したものという。かつては作男15人、馬20頭を有していた。
岩手県遠野市綾織町上綾織1-14
続石

山の中を結構のぼっていく。不思議な岩がいくつかあるうちの1つ。遠野物語第91話に出てくる奇岩。弁慶が持ち上げて作ったとも言われる。伝説はともかく、不思議すぎる。
丹内山神社

高橋克彦先生の小説にも出てくる丹内山神社。行きたいな、行けるかなと思っていたら、案外時間に余裕があったので、立ち寄ることができた。本当に、行ってよかった。むしろ時間があれば…くらいに思っていた自分が信じられないくらいにすごい場所だった。
境内は思ったよりも広くで、七不思議なんてものもある。雪が積もらないとか水が乾かないとか、本当?と思いもしながら、そういう不思議な現象を聞くと場所の力なんてものも信じたくなってしまう。境内の階段をのぼっていくと、小さいながらも木の彫り物が美しい本殿がある。そして境内の奥には御神体のアラハバキ神の巨岩(胎内石)がある。御神体なのに隙間を潜り抜けたり触ったりできちゃう。なんともロマンを掻き立てられる。
参詣した日はたまたま例大祭(9月第一土日)で、市指定無形文化財の金津流丹内獅子踊を見ることができた。
丹内山神社
岩手県指定有形文化財
社伝によれば、東和町東晴山の滝沢の滝に出現した赤子が、赤子這山の頂上から丸い石に乗り、この石が止まった所に住むと言って、その止まった場所と言われる。834年頃、弘法大師の弟子日弘が不況のために来て秘仏の不動尊を納めたとされる。谷内権現、その後、種内権現と呼ばれる。
坂上田村麻呂が東夷祈願、源頼義・義家親子が安倍氏追討祈願に参っている。平泉を築いた藤原清衡が篤く信仰したと言われる。現在の本殿は1810年(文化17年)に南部利敬により再興されたもの。密教系仏堂の形式で建てられており、地元の彫刻名人千葉八重郎により七賢人等が彫られている。明治の神仏分離令により大聖寺種内権現から丹内山神社と名前を変える。
岩手県花巻市東和町谷内2区290
三熊野神社

こちらも時間があれば…と思っていた場所だったが、やはり行って良かった。神社よりも毘沙門堂の方が印象に残っている。特に兜跋毘沙門天を見た時、地元の方が説明をしてくださった内容が興味深かった。毘沙門天像(多聞天像)なら今までいくつも見たし、その中には兜跋毘沙門天もあった。説明してくださった方の話によれば、この地の地天女は蝦夷を表しているのだという。毘沙門天とは北を守る天だが、当時の都にとっては北の地を平定した坂上田村麻呂と重ねられるという。それを支える―…平伏している地天女が征討された蝦夷だというのだ。勿論、兜跋毘沙門天は各地に残っており、地天女とは土地神であるので、別の見方もあるとは思う。ただ、そういった考えが残される程度には、現在は歴史の先にあるのだと思った。
三熊野神社
国指定重要文化財
社伝によれば、坂上田村麻呂が蝦夷征討後創建したとされる。源義家が安倍氏追討の際に戦勝祈願を行ったともいう。本殿は切妻造平入。拝殿は入母屋造平入。
境内に隣接するかたちで成島毘沙門堂(重要文化財)がある。坂上田村麻呂開基との伝承もあるが定かでない。木造兜跋毘沙門天立像は平安時代中期の作で需要文化財に指定されている。欅の一木造で、像高は4.73m。一木造の毘沙門天像の中では日本最大。毘沙門天は地天女の上に立つ。元は毘沙門堂に安置されていたが、現在は場所を移し、収蔵庫に安置される。
岩手県花巻市東和町北成島5区1
感想
ずっと行きたかった。何年も前から行きたくて、ようやく行けた。もともとは遠野物語が好きで、遠野に行きたいと思っていた。高橋克彦先生の本を読んでから、胆沢や平泉に行きたくなった。岩手に行くことを決めて宮沢賢治を読んだら、賢治先生に会いたくなった。
伝承や歴史というものをとてもたくさん考えた。今のこの場所をつくった歴史というものはいたるところに残っていて、それをつなげていくと少しだけ、その時間が見えるような気がするのだ。時間というか、人というか、空気だったりするものが。ロマンと一言で表してはみるけれど、思いを馳せるということがこんなにも似合う場所はそうないと思う。
また行きたい。その時にはもっと色々なことを調べていきたい。この地のことだけではなくて、もっとたくさんのことを知って、行きたい。