松本城

縄手通りなどを散策しながら、途中おそばを食べて松本城へ。
松本城データ
1590年年代(文禄2年〜)頃 国宝
輪郭式の平城。5重6階の複合連結式天守閣は現存12天守の1つ。
戦国時代に小笠原氏により造られた深志城が始まり。その後、武田信玄が占領するも、本能寺の変による動乱を機に小笠原氏が城を回復、松本城と名を改めた。
その後、小笠原氏は徳川家康に従い、下総へ移り、かわりに石川数正が移封される。石川氏は城下町を整備し、天守閣を始め、櫓や門を造り、松本の基礎を固めた。
旧開智学校

松本城から北上し、開智学校へ。この唐破風が見たくて見たくて仕方がなかったので、実際に見ることができ、とても嬉しい。建物は一見美しいのだけれど、どこかアンバランス。よく見れば左右は対称ではなく、どこかバランスがちぐはぐ。擬洋風というだけあってか東洋の匂いもする。校舎の中にも不思議な造りやデザインが見られる。
開智学校を出てからは隣にあった旧司祭館をのぞく。こちらは明治22年にクレマン神父によって建てられたもの。
旧開智学校データ
明治9年 重要文化財
開智学校はもともと、明治5年に廃寺を利用して開校したものが始まり。現在の校舎は松本の大工棟梁、立石清重が設計、施工し、明治9年に完成したもの。明治に入り西洋のスタイルが入り込んできた中で、和風と洋風を組み合わせた擬洋風の校舎である。
木造2階建、寄棟造桟瓦葺。中央に八角塔屋を持つ。車寄せやバルコニー、唐破風には龍や雲などが飾られ、天使が「開智學校」と書かれた板を持つ。
上高地へ

松本から信濃電鉄に乗り、新島々へ。さらにバスに乗り換えおよそ1時間で上高地へ。
上高地バスターミナルから歩いて約5分ほどで有名な河童橋に到着。よく写真で見るような青空ではなかったけれど、山を背景にした橋は素敵だった。
2日目
明神池

早朝、明神橋を渡り明神池へ向かう。川には薄くもやがかかり、雲の向こうでぼんやり光る朝日が幻想的な雰囲気をつくっていた。
朝6時、穂高神社でお参りをしてから明神池へ。穂高神社の神主さんの祝詞を聞きながら、奥へ進むと、まずは一の池。桟橋にぽつんと寄せられた舟と、静かな水面に浮き上がるような朝もや。しんと澄み渡る、静かな朝だった。
さらに奥へ行くと二の池がある。こちらは一の池より木々や岩場が多く、荘厳な雰囲気。一心不乱に写真を撮り続けていると、やがて朝日が高くなり始め、朝もやが晴れ始めていた。夢を、見ていたみたいだった。
上高地散策

朝食を食べた後、明神池から梓川右岸の道を歩き、河童橋へ向かう。道は多少アップダウンもあるが、ほとんどが平坦な道で歩きやすい。雨あがりなので水溜りに気をつけながら、木々の中を歩きに歩く。途中かすかにもやを残す川にも出会う。木々はそれだけで美しいけれど、そこに川や池があると余計に美しく感じる。
河童橋近くで山賊バーガーを食べ、更にバスターミナルから大正池の間も散策。こちらは多少開けているような気もする。時間帯の問題か、人も多い。田代湖は不思議な色をしていて、「違う場所」にいるんだなって気持ちになった。
バスの時間がせまり、慌ただしく上高地を去る。また来たい、そんな場所だった。
松本市美術館
草間彌生さんの作品が見たくて、時間のない中美術館へ。常設展示だけではあったけれど、たくさんの作品があって面白かった。
→松本市美術館 草間彌生常設展示
感想

松本と上高地を1泊2日で巡るという、わりと無茶な計画で過ごしたため、時間に追われてしまったところもあったが、概ね行きたいところは回れ、良かったと思う。
松本ではやはり開智学校を見れたことが嬉しい。松本城も以前来たことがあるが、前とは違う視点で見ることができたように思う。
上高地は天気が心配だったけれど、思ったより晴れてくれて良かった。快晴とまではいかなかったのが残念だったけれど、明神池の朝もやも見ることができた。しばらく緑はいいっていうくらいに森の中をひたすら歩いた。今度はもっと素敵な写真が撮りたい。