本堂(曼荼羅堂)
内陣(天平時代)、外陣(藤原時代) 国宝
寄棟造本瓦葺。桁行7間、梁間6間。もとは千手堂と呼ばれる小さな御堂であった。当麻曼荼羅、十一面感応像、中将姫二十九才像、来迎弥陀、弘仁時代に真言密教を伝えた弘法大師が21日間籠ったという弘法大師参籠之間、當麻寺を開創した役行者像がある。
金堂
鎌倉時代 重要文化財
入母屋造本瓦葺。桁行5間、梁間4間。鎌倉時代に再建されている。曼荼羅堂が本堂になる前の根本の御堂であるため、金堂を中心に講堂や東塔西塔が並ぶ。弥勒菩薩像、四天王像、不動明王像を納める。
講堂

鎌倉時代 重要文化財
寄棟造本瓦葺。桁行7間、梁間4間。1180年平家の兵火により消失し、鎌倉時代に再建されている。阿弥陀如来像、妙幢菩薩像、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、千手観音像、不動明王像、毘沙門天像を納める。
東塔、西塔
天平時代 国宝
三重塔。両塔とも創建当時のもの。東塔は高さ24.4m。柱の本数や相輪の輪の数、水煙のデザイン等、異例なものが多い。西塔は高さ25.2m。東塔よりやや新しい。
梵鐘

白鳳時代 国宝
日本最古の梵鐘とされる。
石燈籠
白鳳時代 重要文化財
日本最古の石燈籠。松香石で作られている。

藤原豊成の娘とされており、當麻曼荼羅の原本を蓮の糸を用いて一夜で織り上げたという伝説がある。
中将姫は実母を亡くし、継母に育てられるが、いじめを受け、殺されかける。しかし殺害を命じられた者は、読経する中将姫の姿を見てどうしても殺せず、ひばり山に置き去りにする。その後、中将姫は一旦は都に戻るも、當麻寺で出家し、當麻曼荼羅を織り上げる。中将姫が29才の時に阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、極楽浄土へと旅立ったと言われる。なお、當麻寺のある二上山は、大和の国の西に位置し、夕陽が2つの峰の中間に沈むことから、西方極楽浄土の入口とされている。
毎年5月14日練供養会式が行われる。中将姫の現身往生を再現する行事で、観音菩薩、勢至菩薩ら二十五菩薩が、現世に里帰りした中将姫を迎えて、極楽へ導くという儀式。