
992年(正暦3年)に兼俊僧正が一条天皇の勅願で建立。
当初は86坊の塔頭が立ち並んでいたが、1180年の平重衡の南都焼討ちにより大半が焼失。1218年(建保6年)に中興開基の信円が再建。1455〜57年に兵火で全焼後、1602年に復興。
「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。また、室町時代には境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、「菩提泉」という酒が醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。
本堂
1916年(大正5年)
本堂へ向かう石段脇には供養塔がある。石段は観世音菩薩の誓願数33段と、阿弥陀如来の誓願数48段の合計81段になっている。
鐘楼

1925年(大正15年)
福寿院客殿
1681年(延宝9年) 重要文化財
数寄屋風建築こけら葺。狩野永納の描いた欄間、襖絵が残る。自然風景式庭園を持つ。