飛鳥時代からあった寺院を、光明皇后が新たに堂舎を建立して伽藍をあらためたもの。玄坊が唐から持ち帰った経典「海龍王経」を用いたことから海龍王寺と名付けられている。初代住持に玄坊が就いたという。
鎌倉時代には経蔵の建立や加持祈祷も盛んに行われていたが、応仁の乱以降、打ち壊しや地震等により打撃を受ける。
江戸時代には伽藍の修復や仏画の修復がなされたが、明治時代には廃仏毀釈のため荒廃。昭和の時代に修理等行われ、以降修復が進められている。
本堂

1666年(寛文6年) 奈良市指定文化財
建立は江戸時代であるが、奈良時代の仏堂の様式に類似。
西金堂
奈良時代 重要文化財
創建当時からの建物。切妻造本瓦葺。正面3間、側面2間の仏堂。内部に五重小塔を安置。鎌倉時代に大修理を受けている。
経蔵
鎌倉時代 重要文化財
寄棟造本瓦葺。高床式で、大仏様の影響を受けながらも一部には禅宗様が取り入れられている。鎌倉時代に叡尊によって造立されたという。
その他
・山門(室町時代 奈良市指定文化財)
・築地塀(村町時代)
・東金堂跡

奈良時代 国宝
西金堂内に安置されている。高さ約4m。工芸品ではなく建造物として国宝に指定されている。様式は8世紀前半頃のもので、薬師寺の三重塔に類似しているが、それを下る要素もある。