飛鳥時代に高句麗の僧、慧潅によって開かれたとされる。寺の名前は、聖武天皇が平城京の鬼門を守るために「大般若経」を基壇に納めた塔を建てたことによるという。1180年の平家の南都攻めで廃墟となったが、鎌倉時代に入って十三重石宝塔をはじめ、伽藍の再建が行われた。
現在はコスモス寺とも呼ばれ、秋には美しいコスモスが咲く。
本堂
江戸時代 奈良県指定文化財
入母屋造、本瓦葺。1667年(寛永7年)、高任、高栄が勧進し、金堂跡地に再建。
十三重石宝塔
鎌倉時代 重要文化財
高さ12.6m。日本最大の石塔。宋人、伊行末の代表作。初重軸部に東方薬師、南方釈迦、西方阿弥陀、北方弥勒の四方仏が刻まれている。寺内には他に元禄時代の作である観音石仏がある。
楼門
鎌倉時代 国宝
入母屋造、本瓦葺の2階建ての門。鎌倉時代に再興された伽藍の回廊門。和様に天竺様式を取り入れ、屋根のそりに特徴がある。日本最古の楼門遺構。
笠塔婆
鎌倉時代 重要文化財
日本最古で最大の笠塔婆。宋人伊行吉が父母の供養のために造立したもの。
石灯籠
鎌倉時代
般若寺型、文殊型と呼ばれる灯籠。獅子や牡丹、鳳凰などの装飾がある。
一切経蔵
鎌倉時代 重要文化財
切妻造。元版一切経を納める。元弘の変の折、護良親王が唐櫃に隠れて難を逃れたという。
本尊 文殊菩薩
鎌倉時代 重要文化財
八字文殊師利菩薩騎獅像。もとは経蔵の秘仏本尊。1324年に文観上人殊音が後醍醐天皇の御願成就のために造立したもの。
阿弥陀如来
白鳳時代 重要文化財
聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のために奉納した。昭和の大修理の際に、十三重石宝塔の5重目より出現。胎内に大日如来、十一面観音、地蔵菩薩の三尊をこめていた。
総高40.9cm。頭部と手足が大きく童子のような姿。